ゴージャスの意味なら知ってるよ、
という、みなさんにこそお伝えしたい。

史上最高のゴージャスが、
名古屋にあるってご存じですか?
天下を取るために徳川家康が、
持てる力のすべてを注いだ城。
100年つづいた戦国の世に終止符を打ち、
260年もの平和の世を築いた名古屋ゴージャス。
名古屋城本丸御殿には、
ゴージャスへの価値観が変わる体験が待っています。
史実に徹底的にこだわり、
細部までリアルに復元した日本史上最高のゴージャスに、
さぁ、Say Hello!

MOVIE

ゴージャスを
遊べ

本丸御殿で歴史ドラマ映像

本丸御殿で起きたであろう出来事を、高品質なドラマ仕立ての映像で展開!

  • 表書院 大坂の陣 出陣の儀

    徳川家康が天下統一の仕上げとして
    大坂夏の陣への出陣を伝える場面。

  • 対面所 義直春姫 婚礼の儀

    尾張藩初代藩主・徳川義直と春姫の
    厳かな結婚式の三三九度の様子。

平成31年3月18日(月)開始 | 本編90秒程度/5言語対応 | 監修:三浦正幸氏(広島大学名誉教授)、柳川真由美氏(福山大学講師)|
【観覧方法】上記の各部屋に備え付けのタブレットでARマーカーを読み込み、動画を再生。また、個人のスマートフォンでも動画を視聴することができます。

AR

徳川家康
AR体験

ARフォトフレームで記念撮影!

  1. 1.出陣の儀の徳川家康になろう!
  2. 2.婚礼の儀の義直・春姫になろう!
  3. 3.江戸幕府三代将軍・徳川家光と
    ツーショット!?

※1・2はARフォトフレームで記念撮影!顔出しパネルとしても撮影できる。 
※3は将軍専用風呂である「湯殿書院」にて、徳川家光公と記念撮影!

CAFE

「名古屋城 本丸御殿カフェ」@表参道
タイカン!

3.15-17

本丸御殿の魅力を体感できる特設カフェが表参道にオープン!

午前11時~午後7時(※17日は午後6時で閉店) 
場所:ZeroBase表参道(東京都港区南青山5-1-25
名古屋おもてなし武将隊の徳川家康公が毎日お出迎え!)

「名古屋城 本丸御殿カフェ」@表参道:外観
「名古屋城 本丸御殿カフェ」@表参道:内装
「名古屋城 本丸御殿カフェ」@表参道:メニュー

連携・協力:(公財)名古屋観光コンベンションビューロー

ABOUT

ようこそ、
NAGOYAゴージャスへ。

名古屋城本丸御殿を見学してまず驚くことは、この世のものとは思えない、煌びやかな美しさと精緻な意匠ではないだろうか。美術工芸品を思わせる床と違い棚、金碧の障壁画、黒漆塗りの天井、極彩色で細密な欄間、超絶技巧の飾金具…。ここには、日本人の美意識の底にある「侘び寂びの世界」とは対極にある、濃厚で官能的な美の世界が広がっている。この絢爛豪華な建築群は、二条城、西本願寺、久能山東照宮、日光東照宮などでも見ることができ、同時期に花開いた西洋の「バロック様式」にならい、「江戸バロック」とも呼ばれている。ではなぜ本丸御殿に、このようなドラマチックな表現スタイルが採用されたのか。その謎を解き明かしていきたい。

歴史を振り返ると、関ケ原の戦いがあった慶長5年(1600)~江戸幕府の体制が確立する寛永年間(1644)までは、特別な時代だといえる。戦国時代から平和な時代への転換期であり、新しい時代を構築しようとするエネルギーに溢れ、綺羅星のごとく人材が登場した。法隆寺の宮大工・中井正清も、その一人だ。関ケ原の戦い後、新しい領地を得た大名により空前の築城ラッシュが起きる。今日、全国の県庁所在地にある城郭の大多数は、この時に造られた城だという。それまでの職人的な大工では対応できず、新たな才能、新たなビジネスモデルが求められた。中井正清は、徳川家康の命をうけ、「天下普請」として二条城、江戸城、駿府城、名古屋城など家康の天下城を築城した。この時期は天守や御殿など、建築技術が飛躍的に進歩を遂げた時であり、正清らの新しい築城技術は全国に広がった。

名古屋城を築城したメンバーを紹介しよう。作事奉行に遠州流茶道の開祖としても知られる小堀遠州はじめ9名、御大工頭には天下一を意味する「一朝惣棟梁」の称号を得ている中井正清、その下に京、山城(京都)、大和(奈良)、近江(滋賀)から棟梁衆52人、総勢563名の大工が集められた。安土城を築城した熱田の岡部家、室町将軍家お抱えの池上家、清須越で名古屋に移住した沢田家など大工の名家も参加している。
大工の他には、幕府の御用絵師衆・狩野派、大坂の材木商・天満屋、竹材の御用をつとめた千竹屋、瓦の加藤、飾師の明珍家はじめ、鍛冶、鉄物、瀬戸物、畳師、左官など、まさに「天下作事」とも呼べる最高の技術者集団が名古屋城に集結した。
しかも、その技術者たちは木挽町、材木町、鍛冶町、袋町など城下に家を構え、名古屋に根をおろした。腕の良い技術者と良質な木材によって育まれた名古屋の木造加工技術は、箪笥、楽器、鉄道車両、織機、飛行機など、明治時代から始まる近代産業の発展につながっている。
名古屋城は慶長19年(1614)10月に天守、翌年2月に本丸御殿が完成した。中井正清は、この後に、増上寺、久能山東照宮、日光東照宮などの国家プロジェクトを次々と成功させ、現在「世界遺産をつくった大工棟梁」と呼ばれている。
さらに、寛永10年(1633)に上洛殿を増築した際には、平内正信を大棟梁に、尾張藩御大工頭の沢田左衛門が彫刻欄間を彫り、狩野派の天才絵師・狩野探幽が障壁画を描いている。平内正信は後に、幕府作事方大棟梁に昇進し江戸幕府の大事業を差配した。

近世城郭は小牧山城から始まり、名古屋城で完結するが、その築城技術は天下人による「天下普請」よって発展していった。まず織田信長が天下城として安土城を創建。それを凌駕するために、豊臣秀吉は大坂城を築城。そして徳川と豊臣の争いの中で、豊臣包囲網の最終基地として名古屋城が誕生した。当時の最新技術が導入され、天下普請による莫大な費用と人材が投入されている。構造は、極めて実戦的・合理的な構造を持っていて、曲輪はすべて巨大かつ直線的に構成されていて、堀、石垣、櫓などの防備も非常に徹底的となっている。
ところが、築城の最中に「大坂夏の陣」により豊臣家が崩壊する。天下を手にした徳川家康は、「元和偃武」を宣言し、「一国一城令」を発令。名古屋城は一躍、平和のシンボルとなった。このため名古屋城は、近世城郭の到達点との評価を得ている。
こうして、天下普請から生まれた「派手でゴージャス」な文化は終焉を迎え、「質素倹約」を旨とする江戸時代が幕を開けたのである。

名古屋というと「派手」で「ゴージャス」なイメージがあるが、その起源はここにあるのかもしれない。本丸御殿の中に、「NAGOYAゴージャス」の秘密が隠されている。

HELLO GORGEOUS!

ゴージャス体験は
名古屋城で!